特集 第7回 坂本 理恵 さん 「私のものづくりの原点」
★まずはじめに、理恵さんとアクセサリーとの出会いについてお聞きしたいと思います。アクセサリーに興味を持ったのは、いつ頃だったんですか?
アクセサリーとの出会いはこの時!という、はっきりとした時期は...記憶にないんですけど(笑)。
私たちの世代の高校生活はとても規則が厳しく、お化粧もだめ、アクセサリーなんて、もってのほかで。それが大学に入って、いろんなことが自由にできるようになった時に、アクセサリーを身に付けるようになったんです。
アクセサリーを付けると、やる気がでるというか、遊びたくなるというか...。すごく気分がいい方向に変わって、楽しめるなぁ、と思ったんですよね。
お洋服が一枚でも、アクセサリーがあれば変化をつけられる。
たぶん、そうして少しずつ、アクセサリーの持っている力に魅せられていったのかな、と思います。
★アクセサリーの持つ魅力に、自然と引き寄せられていったということですね。当時の理恵さんは、どんな「おしゃれ」観を持っていたのですか?
今は色々な文化や流行がたくさんあって、着ている洋服も様々ですよね。でも昔は、みんなが流行のモノを同じように身に付けているっていう時代だったんです。みんな一緒、右へならえ、みたいに。ファッションさえも「制服」みたいな感じだったんです。そんな中で、ヒッピーという文化が入ってきて。マキシスカートにじゃらじゃらとアクセサリーを付けてっていうスタイルをよくしていましたね(笑)。
おしゃれすることが好きだったから、子どもが生まれても、おしゃれな格好で子育てをしたかった。
普通の「お母さん」ていう格好がしたくなかったんですよね。
自由に、いつだってファッションを楽しんでいたかったというか。
とにかくアクセサリーが好きでね、本当に毎日でもお店に行きたいくらいだったんです。
今日の格好もそうですけど、こんな風にいっぱいアクセサリーを付けるのが好きなんです。皆さん「なんでこんなにたくさん?」って思っていらっしゃると思うんですけれど...。
ただ単に、好きだからなんですよね。
★漆とアクセサリーを結ぶきっかけはなんだったんでしょう?
やっぱり、漆屋に生まれたっていうのが一番ですよね。
普通は、漆って中々ハードルが高いって思われると思うんですけど、私にとっては、生まれた時から当たり前の日常の中に漆があって、職人さんがいてっていう環境があった。
だから、「漆を使ったアクセサリーを作ろう!」と、意気込んで作ったのではなく、
「あ、木と漆使えば!」という、自然の流れといった感じでした。
★漆を使ったアクセサリーの第1号は、どんな作品だったんですか?
初めて漆を使ったアクセサリーを作ったのが、27歳ぐらいの頃。
あの頃は、アクセサリーの金具とかパーツって、どこで買ったらいいのか分からなくてね。
インターネットもないし。
だから、金具とかなくてもいいものを作ればいいやと思って、大好きなブレスレットになったんです。
「形は木地屋さんに行けば、ろくろで挽いてもらえる!」ってね。
職人さんに、自分のイメージを色々説明したんですよ。直径は何センチで、中心はちょっと肉厚にして...って。
そしたら、「ああ、お銚子の袴の底無しの物を作ればいいのね!」って言われて。
すっごくショックだったんですけど(笑)。
まあ...そうですってことで、作ったのがこの朱色のバングル。
軽いし、付けているだけで気分がワクワクしたんですよね。
私がこのバングルを付けていた頃は、Tシャツにジーンズをはいて、このバングルを合わせてっていう格好をよくしていたんです。
そうすると、おしゃれに敏感な方から、「そのバングル、何で出来てるの?」って声をかけていただいたり、色や質感を褒めていただいて。私としてはもうそれで大満足だったんです。
★そこから、アクセサリーを販売するに至るまでには、どんな道のりがあったんですか?
元東京生活研究所にいらした山田節子さんとの出会いが、全てのはじまりだったと思います。(第1回 インタビューゲスト)。
1970年代頃、日本人の食卓にナイフとフォーク等の洋食器をどのように取り入れていこうかということを、洋食器業界の方と、山田節子さんが考えていらっしゃったんですね。箸の文化の日本で、金属の食器をどうしたら取り入れてもらえるのか、と。
その話し合いの中で、持ち手の部分を、木にしたらどうか?と。
それで、どうせだったら、漆を塗りましょう、となって、うちにお話をいただいたんです。
銀座の松屋で発表をするってことで、うちの社長が行ったんですけど、木曽出張の帰りで、長靴で行ったみたいなんですね。
そのことが、山田さんにとってはすごく新鮮だったみたいで...。
そりゃそうですよね。東京の銀座の百貨店に、長靴って(笑)。
それで、山田さんにすごく親しみをもっていただいたんです。
帰ってきて、社長がとても素晴らしい方だから一度お話を聞きに一緒に行こうということで、お時間をとっていただいて。
お土産に漆のブレスレットを持って行ったんです。
そうしたら、とっても気に入ってくださって。
ファッション小物のコーディネーターの方を紹介してくださったんです。そこから、松屋さんで展示・販売がはじまりました。その後、百貨店さんや催事などで、少しずつ販売の機会をいただいたという感じですね。
★その頃には、ブレスレット以外も販売していたんですか?
ええ、そうですね。その頃にはブレスレット以外のアクセサリーも販売していました。
......でも、どうやってアクセサリーに使う金具を調達してきたか覚えていないんです(笑)。
メインはやっぱりブレスレットだったんですけど、やっぱりね、売れなかったんですよね(笑)。
普段身に付けるアクセサリーってネックレスとかイヤリングとかが多いでしょう。ブレスレットって、アクセサリーの中でも割と後の方というか。
それでも、自分のデザインしたアクセサリーを手にとっていただけるのは嬉しかったですね。でもこの頃はまだまだ、これを仕事としてやっていこう!とは思っていませんでした。
けれど、販売をはじめた丁度その頃、輪島で蒔絵の修行をしていた職人さんが住み込みで働いてくれることになったんです。
私が「こういうの作りたいんだけど」っていうと、「じゃあ、こんな感じかな?」って作ってくれる方でね。
その職人さんがいたから、色々な作品へと発展していきました。
あとね、35歳の時、初めての海外旅行でイタリアに行ったんですね。世界はこんなに広いんだ、こんなに綺麗な色がある!もう衝撃ですよね(笑)。まだ日本ではアルマーニもフェレも知られていない頃でした。
その時一緒に行ったコーディネーターの方に「悪いものは見ちゃダメ、目が腐る!いいものを見なさい」って、教えていただいたり。
こうして今、アクセサリーをはじめとする作品を作っていられるのも、節目節目で、素晴らしい出会いがあったっていう幸運に恵まれていたからだと思います。
★人とのご縁や、出会いで発展していったんですね。
RIE SAKAMOTO COLLECTIONの作品についてお聞きします。これくしょんは、漆っぽくないというか、とても鮮やかな色をしていますよね?
ブレスレットの時はこの漆らしい落ち着いたこの色が良かったんですけど、ペンダントになって顔の周りに付けたときに「あれ?ちょっと暗いかな?」って思って。
もっと鮮やかな朱って、どうやったらできるんだろうってことで社長に相談して、いろいろと顔料の研究をして作ってもらった朱なんです。だから、この朱は、坂本オリジナルの朱ですね。
アクセサリーじゃなかったら絶対作らなかった色だと思います。
正直、こちらのブレスレットの色の方が、漆らしい色って感じだと思うんですけれど、アクセサリーってそういうことじゃないと思い・・・。
気持ちが華やいだり、コーディネートが決まったり、それがアクセサリーの役割だと思っています。
そういう意味では、漆らしさは求めていないかもしれません。
軽いっていうのは、長く使っていただくのにとても大事なことですが、「付けてみたい」と思っていただけるというのが一番大事ですね。
★アクセサリーの販売を始めて、それが軌道に乗ったきっかけはなんだったんでしょうか?
一番実感したのは、ショップチャンネルさんで2000年に販売をはじめた時ですね。
ギフトショーに出展していた際、ショップチャンネルのバイヤーさんがアクセサリーをご覧になって、
「これはショップチャンネルのお客様にぴったりですよ!」とすごく押してくださったんですね。
それで、ショップチャンネルさんでこのアクセサリーを取り上げていただくことになって、「坂本さん、出演もお願いします」と言われて、あれよあれよといううちに出演まですることになりました(笑)。
その時の反響の大きさに、ものすごくびっくりしましたね。以来、とてもお世話になっています。
やっぱり、自分が欲しいもの!なんですよね。自分が付けたいもの。
作品を見ていただいていると分かると思うんですが、私ね、大きいアクセサリーが大好きなんです。
ただ、お客様とか、娘たちから「もっと小さくてかわいいものが欲しい」って言われたりして、
「ああ、もっと小さいものが好きな方もいらっしゃるんだ」って気づかされてね(笑)。
催事などで販売している時なんかにも「もうちょっと小さければねえ」って言われたりすることがあって、
自分が欲しいデザインにプラスして、求められるデザインを考えるようにしています。
そういう商品に対する考え方についても、ショップチャンネルのバイヤーさんに育てていただいた部分は大きいですね。
バイヤーさん自身もとても楽しんで色々と提案してくださるのがありがたいと思っています。
それから、うちは女性スタッフが多いんですが、女性は「自分が付けたらどうかな?」っていう目線で考えてくれる。
だから、私が見過ごしたようなことも、「もっとこうした方が良いのでは?」と指摘してくれたりするんです。
アドバイスしてくれるスタッフがいるというのは、本当にありがたいですね。
★今まで苦労したことなどはありますか?
そこまで...なかったかなぁ(笑)。
いやなことは、忘れるようにしているんです(笑)。
いい意味でほっておいてもらえたんだと思うんですね。
会社でも、私が何をやってようと、そこまで気にされていなかったというか。
そういう意味で、自由に色々できたっていうのは大きいと思います。
★もし、漆に携わってなかったら、アクセサリーに出会ってなかったら...どうしていたと思いますか?
うーん、何をしていたでしょうね......ふらふら色んなところに行ってるんじゃないかしら(笑)。 でも、結局はアクセサリーに行き着いていたような気がします。 どこに行ってもアクセサリーって目に付くんです。やっぱりね、好きなんでしょうね。
★これからのRIE SAKAMOTO COLECTIONの目指すところは?
私と同世代の方達が、おしゃれで、ラクに着られて、着ているだけで夢があるようなお洋服を提案していきたいですね。
毎日の生活が楽しくなって、お仕事をされている方も、されてない方も楽しく過ごしてもらえる、
そんなものを提案していけたらなぁと思っています。
私、小さい頃からコンプレックスがすごくありまして。
幼なじみの女の子が、すごくかわいくて、頭もよくて、スタイルもよくて...っていう子だったからかもしれないですけど。
そのコンプレックスがおしゃれをするためのエネルギーにもなったし、私の根底にあるんですよね。
コンプレックスをどうにかしようとあの手この手を考えなきゃいけないから。
それが私のおしゃれに対する原動力になっていると思います。
★娘である坂本まどかさんが主宰する「mado mado collection」に期待することはありますか?
娘自身の中に、「こうしたい」というかたちがあると思うんですね。そういう「頑固さ」もとても大事なんだけれど、
ただ、他の人からアドバイスを受けた時に、「考えてみる」という余裕だけは、持っていて欲しいと思います。
自分の考えを曲げるわけではなく、「そういう意見もあるんだ」と、一度素直に受け止めて、聞く心。
それで新しい何かに気づくことがあったり、やっぱり曲げずにこのままいこうということもあるだろうし。
そういった、臨機応変さというか、柔らかい考え方をしていって欲しいと思います。
本日はありがとうございました。
聞き手 ㈱CIA 原田慎 / まとめ ㈱CIA 渡邉こずえ / 撮影 坂本円
福島県 会津若松市 にある会津の小さなお店「坂本これくしょん」にて